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- 【第4回目】 職場のメンタルヘルス~アディクション(のめり込み)について~(宮崎銀行調査月報No154 2006年3月号)
【第4回目】 職場のメンタルヘルス~アディクション(のめり込み)について~(宮崎銀行調査月報No154 2006年3月号)
【第4回目】
つい頑張り過ぎるあなたへ(宮崎銀行調査月報No154 2006年3月号)
職場のメンタルヘルスを語る時に「3A」というキーワードがあります。 一つ目の「A」は「アブセンティズム~いなくなる」です。遅刻とか欠勤とか早退が多くなる。こういう場合、単に「怠けている」とか「体が弱い」と考えるのではなく、精神的な不健康状態を反映している場合が多いと考えられています。
二つ目の「A」は「アクシデント~事故やミス」。これも「そそっかしい」とか「注意力の不足」ということもあるでしょうけれど、やはり精神的な不健康状態を反映していると考えられています。
そして三つ目の「A」が「アディクション(のめり込み)」です。
このアディクションで一番ポピュラーなのがアルコールです。特に宮崎県は、県民1人当たりのアルコール消費量は全国第2位という高位置につけています。以前総務省が「あなたのストレス解消法は何ですか?」という調査をしました。男性で一番多かったのが「酒を飲む」でした。確かにお酒を飲んで酔っ払うと嫌なことが忘れられます。アルコールは手軽で、安くて、即効性のあるストレス対処法です。しかし危険な面もあります。アルコールには耐性があります。例えば、焼酎1合お湯割りで飲んで、ほろ酔い加減になる。これで気分転換という目的は達成されます。ところが毎日それを繰り返していると、だんだんと酔わなくなってしまいます。これが耐性です。じゃぁどうするかというと、1合でダメなら2合に量を増やせば良い。2合飲むとまた同じ効果が得られる。それもしばらく続けていくと、また酔わなくなる。で、3合飲む。そうやって、知らないうちにだんだん量が増えていく。脳にはバリアーがあって有毒なものを通さないようなシステムがありますが、アルコールは簡単にこのバリアーを突き破ってしまう。これは覚せい剤やシンナーも同様です。だから即効性があるのです。そうすると、だんだんと脳の中にモルヒネと似たような物質が出来てきます。これが出来あがるとアルコールに対するコントロールが効かなくなり、ちょっと1杯だけと思って、飲んでしまうとパチンとスイッチが入り、とことん飲むという飲み方になってしまう。だからお酒を止められないんです。よく意志の弱い人がアル中になるっていうでしょう。あれは全くの誤解です。私が知っているアル中さんは、だいたい皆さん意志は強いし仕事もできる優秀な人が多いです。でもアルコールがないとダメ。まさに依存した状態ですね。そしてアルコール依存症の進行とともに、次第に仕事は雑になり、社会的な信用、仕事、家族、そして命を失ってしまう。この病気は進行性で死に至る病で、平均死亡年齢は52歳です。病気なので本人の努力だけでは回復は難しく専門的な援助が必要です。なぜなら「俺はやめようと思えばいつでもやめられる」という「否認」という症状があるからです。「営業をしているから、酒はやめられない」「仕事でストレスがあるから酒が止められない」もすべて「否認」です。実は飲むための理由を探して言っているに過ぎないのです。ですからアルコール依存症は「否認の病」とも言われています。また、健康的な価値観も失われます。「あなたはアルコール依存症です。断酒が必要です」と患者さんに説明をしますが、「断酒するくらいなら死んだほうがましだ」「酒を飲んで死ねれば本望だ」とか言う人がいます。そうなると、アルコール依存症を専門にしている精神科医でも「ああそうですか。とても残念です」としか言いようがないのです。そういう患者さんを強制的に入院させても何の意味もありません。隔離しても、飲酒欲求が下がるわけではないのです。遠ざければ遠ざけるほど、恋人のように酒が愛おしくなってくるだけです。でもそういう人も、いきなり「酒で飲んで死ねれば本望だ」と言うわけじゃない。まだ初期の段階、30歳代くらいで職場検診の時に肝機能障害を指摘され、原因は飲み過ぎらしいということが分かった時に、家族の「少しお酒を控えたら」という忠告に対して「俺が稼いだ金で飲んで何が悪い」って怒り出す人がいる。これは、家族がその人を気遣う気持ちと酒とを天秤に掛けて、その人は酒の方に価値があると思っているのです。既に健康的な価値観を失っており、そして最終的には自分の大切な命と酒とを天秤に掛けて、酒の方に価値があると思うようになっていくのです。
私はこれまで、かなりの数のアルコール依存症の患者さんに出会ってきました。多くは本当に人が良くて、責任感も強くて、きちっとした方たちでした。でも根底に「生きづらさ」を持っている人が多いようです。彼らの生きづらさは一言で言うと「硬い」です。つまり、いい加減に生きられない。こうと決めたら、その通りやらなきゃ収まらない。白か黒か、勝つか負けるか、それにすごくこだわる。だからストレスがたまっちゃう。そんな時に即効性がある酒が役に立つのです。
そのほかにもアディクションには行動面として出てくることもあります。例えば摂食障害。過食や拒食の患者さんです。それからリストカット、パチンコなどのギャンブル依存も多いです。
ギャンブル依存の患者さんがクリニックを受診しました。その人は自分が病気だとは思っていないのです。最初に200万円ぐらい使って奥さんにバレました。サラ金に手を出して、サラ金からの督促状で奥さんにバレたんですね。もう二度とギャンブルはしないと奥さんに誓って保険を解約したりして何とか返済したのですが、しばらくすると再び500万円の借金。この時は親が立て替えて支払いましたが、次は2000万円の借金。この頃になると本人も「もう生きていく自信がない」と自殺を真剣に考えるようになり、私のところに来たのです。分かっちゃいるけどやめられない。これがアディクションです。ワークホーリック(仕事中毒)も実に多い。休みの日であろうと仕事を作って職場に行く。家でくつろぐことに罪悪感すら持っている。自分は役に立たない人間なんじゃないかといった不安を解消するために仕事にのめり込む。これもアディクションです。働き過ぎて過労死寸前の人に、「このままだとあなた死にますよ。休みましょう」と言ったことがあります。でもその方は「疲れていない」と言うのです。でも残業を月200時間もしている。これで疲れていない方がおかしい。でもその人にはそういう感覚がない。「まだまだやれる」と言う。疲れているということに対する感度が鈍っていたり、あるいは疲れていることを否認しているのです。
そういう人が私によく言う言葉が「先生、元気が出る薬を下さい」です。でもその人に必要なのは元気の出る薬じゃなくて休養です。そう伝えると「えっ、休養? それは何ですか?」と戸惑われます。だって休養なんて取ったことないのですよ。だから休養を取れと言われたってピンと来ない。そういう人は、頑張ることは得意なのですが、頑張らないことはやったことがない。とにかく生まれてこのかた、周囲からずっと頑張れ、頑張れと言われ続けてきた。誰からも頑張らなくていいよとは言われたことがないのです。だから頑張らなければ生きる価値はないと思っている。仕事に熱心だし、周囲の評判もいい。地位も上がっていく。そういったことがますます「もっと頑張らなきゃいけない」という思いに拍車を掛ける。そしてやがて消耗して倒れてしまう。ですからこういう人には「無理をしない生き方」を身に付けてもらうことがとても大切です。
「無理しない生き方」、それは「消極的・悪循環的対処法」ではなく「積極的・効果的気対処法」を身につけるということです。アルコールも含めてアディクションは確かにストレスに対する対処ですが、それは「消極的・悪循環的対処法」そのものなのです。 「積極的・効果的対処法」のひとつは、問題について話し合うこと、人に相談することです。人に相談することは決して恥でもなんでもない。しかしその能力がない人が特に男性には多いように思います。
次に感情を素直に出すことです。これも男性は下手です。ずいぶん前にある警察署から講話を依頼されて話に行ったことがあります。少し早く会場に着いたので私が広い事務室で待っていると、その部屋に「苦しいこともあるだろう、言いたい事もあるだろう、不満のこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。~山本五十六」と書かれたものが金の額縁に入って壁に掛けてありました。早速その日の講話で、「まずはあれを外しませんか」と言いました。なぜなら苦しい時に苦しいと言える人は健康なのです。泣きたい時に泣ける人も健康です。腹が立った時に「俺は怒っている」と言える人も健康です。怒りは蓋をしておくと腐って恨みになり、恨みは他人だけでなく自分自身をも破壊するので、怒りは安全に出さなきゃいけないのです。私は日向灘に向かってバカヤローと言いましょう、ティッシュボックスをたくさん買い込んできて、家の中で投げ散らかしてみましょうと患者さんに勧めることがあります。そんなこと恥ずかしくてできるかと思う人がいると思いますが、まあやってみてください。案外とスッキリするものです。また、患者さんが診察室で私に話をしている時に、ウルッと来ることがあります。私の診察机の引き出しにはティッシュボックスが入っていて、それをそっと差し出し、ここでは泣いてもいいのだということを患者さんに伝えます。そうすると多くの人が涙をぽろぽろと流します。そうやって安全に自分の感情を出せる場を作ってあげる。そして患者さんは涙をぽろぽろと流しながら悩みや不安を語ることで、気持ちの整理がついていくことも多いのです。私のクリニック(旧細見クリニック)では臨床心理士がカウンセリングに当たっていますが、患者さんの中には「どうすればいいか」という答えをカウンセラーに求めることがあります。しかし答えは患者さんの中にあるのです。そのことに患者さん自身が気が付いていないだけなのです。感情に蓋をせずに話をすることによって、自然に自分で気づいていく。カウンセラーはその過程に忍耐強く付き合う。そういう感情を素直に出せる場や人を確保しておくことが必要なのです。これは何も精神科医や臨床心理士でなくても誰でも良い。そういう情緒的なサポートネットワークをきちんと確保することは極めて有効な対処法なのです。
次に自分を大切にすることです。自分のことを後回しにする人って結構多いです。あるリストカットをしていた女性がそうでした。彼女はお母さんとお姉さんと一緒にデパートに買い物に行って、「お母さん、これ好きでしょう」「お姉さん、これ似合うわよ」と人の好みはバシバシと分かる。でも、自分は一体何が欲しいかは全然わからない。結局、自分の物は何も買えずに帰ってきてしまうわけです。周りの人にばかりアンテナが向いていて、全然自分に向いていない。そして自分のしたいことをせずに、したくないことばかりをやっている。こんなことばっかりやっていると、どんな人でもむなしさや悲しみ、怒りといった感情が高まり、生きていく力が落ちていくのは当然のことです。
今の社会には「無理をしないと生きていけない」といった錯覚が全体としてあるような気がします。仕事ができない自分は生きている価値が無いと言って自殺を考える人もいます。仕事さえできれば自分がボロボロになって、それこそ死んでもいいと思っている人すらいます。でも本当は、無理をしなくても生きていくことはできるのです。極端なこと言うと、たとえ仕事を辞めたって、この日本で餓死することはありません。いろんな社会保障制度があるし、福祉事務所にはケースワーカーもいるし、必要な情報を与える機関もある。
仕事ができることは大きな喜びであり、自己肯定感を高め、確かに価値のあることに間違いはありません。しかしそれ以上に、自分自身や自分の家族の健康と安全を守るという生き方や価値観はとても尊いものではないでしょうか。もしあなたが生きることに疲れを感じているのであれば、それまで信じて疑うことのなかったあなた自身の生き方や価値観についてもう一度考え直しても良いのではないでしょうか。